宀に小に月と書いて「宵」。日が暮れた、夕方から夜が本格化するまえの時間。
最近は書きたいものがたくさんあって、それらの形を一つずつ探しながら、あーでもないこーでもないという時間が続いている。そうやって手探りで書き重ねている時間は、確かに楽しい瞬間もあるのだけれど、書き進めていけばいくほど、苦しい時間になったりもする。
そんなに苦しいと思いながら、なぜ書くのかと考えてみるけれど、言葉/字が出てきてしまったのだから仕方がない。書かないとどこにも行けないし、進めない。そんな風に感じている。(書かないことを選ぶ自分や、書けないと諦める自分が嫌だというのもある)
そんな時間を過ごす中で、ある夜浮かんできたのが「宵」だった。
調べてみると、白川静先生の『常用字解』では「宵」は「廟の中に月光がわずかにさしこんでいる形」とある。そういう字があるということは、そういうものを感じていた人がいるということだ。
数千年も遠い昔、屋根のある下で、月(夜)を感じていた人がいたということに、なぜだかすごく慰められた気がした。一人だけど、一人じゃない。そんな風に言われているような気持ちになった。
「宵」
書いてみたら、書いてみたで、動きのある「宵」が現れた。

しみじみ慰められるような気持ちの一方で、とはいっても書かなければ前に進まないという、あがきのような。この文章を書きながら、思わず笑ってしまった。
作品はまだまだ書きあがらなくて唸りつづけているのだけれど、そういう時間にふっと降りてきた、ギフトのような字だった。