路(みち)の上、という言葉が、ここ数カ月頭の中にあった。

道ではなくあえて路上の「路」なのは、路地や路上というような、ストリート感のあるイメージが自分の中にあったからだと思う。

師から離れて数年、何かに属すことから少し距離をとってみている自分には、誰でも許されているような「路」の感覚は妙に安心感があった。

そんな感覚がぼんやりと頭の一片にある中で、気が付いたら年が明けていた。

年末から続く家族ぐるみの体調不良もすこし落ち着いた頃、本を読んだ。手に取ったのは組織開発専門家の勅使河原麻衣さんの新著『人生の「成功」について誰も語ってこなかったこと』。一見自己啓発本のようなタイトルだけれど、勅使河原さんの前著を読んだ身としては、絶対に自己啓発本ではないだろうと思いながら読み始めた。今回の本は「成功」という人々が妄信的に追いかける概念の正体に、容赦なく迫っていく痛快な書籍で、この感想はまた別に書こうと思うのだが、私の中に残ったキーワードは「連帯」というものだった。

他にも、この頃触れるさまざまな文章の中で、なぜか「連帯」が目につく。これはもう、無意識に引き寄せてる可能性が高い。

分断の世の中。そう叫ばれて久しい。先日にはアメリカのベネズエラへの攻撃のニュースまで飛び込んできた。

そんな中で「連帯」という言葉は、切実さを持って私に響いてきたように思う。

個として立ち、各々が自分にできることで連帯し、補い合いながら共に生きていく。その先にこそ、もしくはそれ自体が、本当の成功なんじゃないか。

本を読み、そんなことを考えた一日の終わりに出てきたのが「上路(シャンルー)」だった。

 

                              「上路」35×136

下から上に線を突き上げたあと、その線の右側に、上から下に筆のままに、文字なのか言葉なのかわからないものを書いた。出てきたのはなぜか中国語だった。

 我在那里你们在那里
 我知道谁在那里
 我们到那里
 上路上路

 私はそこにいる あなた達はそこにいる
 私は誰がそこにいるかを知っている
 私たちはそこに至る
 旅立とう、旅立とう
 ※自分なりの訳

というような意識で書いた気がする。後から読もうとしたら、ちょっと書いてあることが違っていたけど、少なくともこういうことを書いたと思っている。

まとまった思考になるまえの衝動と、言葉になる前の何か。祈りのようなものがそこにはあった気がしている。

「そこ」はどこなのか。
「そこ」には何があるのか。

私は「そこ」に「連帯の世界」を思い描きたいのだと思う。「路」の上に立つ私たちが、それぞれの個を保ったまま、緩やかに繋がり、補い合って生きていける場所。

「あとりえあや」もそういう場所、活動を展開していけたらいいなぁと思っている。

2026年最初の場は、1月25日(日)15:30より浅草の田心カフェさんで行う、みんなでつくるアート部の書道クラス。

上手い下手ではなく、それぞれの思いをのびのびと書ける場。そしてその場を共にする人たちと分かち合うことのできる、温かな場を作れたらと思う。(ご興味ある方はお気軽にご連絡を。ぜひ遊びに来てください。)

「連帯の世界」を願いつつ、諦めず、今年も自分に出来ることをひとつひとつやっていきます。

上路!