國分功一郎さんが大学で行ったシリーズ哲学講話『目的への抵抗』を読んだ。『暇と退屈の倫理学』後の思考の過程をこうして読ませていただけることは、とてもありがたい。
「目的」というあまりにも日常に浸透している概念。私もこれまで何度もそれについて考えてきた。また「目的は?」と問われることも、数えきれないほどあった。何かやろうと思ったときに、まず「目的」を考えるようになり、またその「目的」を達成することを至上とし、一番早くて効果的な「手段」を求め始めるようになっていた時期もあった。
この本では、コロナ危機を経て、「あらゆるものを目的に還元し、目的からはみ出るものを認めようとしない社会になりつつあるのではないか。」という問いかけや、「目的」と「手段」からはみ出る部分、にこそ人間らしさや豊かさといったものがあるのではないかという視点を提供してくれていて、改めて「目的」にとらわれすぎていたかもしれない過去の自分、今の自分を見つめるきっかけになった。
思えば自分のことを顧みてみると、少しずつ少しずつ、はみ出し続けて今に至る。周囲が就活するときには休学して書道をし、卒業して就職すると思いきや留学し、就職して数年、このまま働くと思いきやフリーになり。何度も上手く、器用にできない自分に落ち込んでる。それでもはみ出ていかずにはいられない。多分、そのはみ出ていかずにはいられないという所が、自分と言う人間なのだろう。
恐らくこれからも、何度も落ち込んでは、それでもはみ出していかずにはいられないのだと思う。諦め半分、笑い半分。
それでもって全く別の文脈で、最近友人と話した記憶も合流してきた。大好きな友人で、一緒にものづくりの企みを少しずつ始めたところだ。そこに、「目的」なんて言葉は一度も出てこない。やりたいからやる、楽しそうだからやる。純粋な発見と喜びがそこにはある。
そんなことを思いながら、浮かんできたのがこちら。

「遊々」
友人に送ったら、「はみ出てる!」とちゃんと気付いてくれた。「なかなか勇気がいりそう」というコメントに「決めちゃえばやるしかない」と返す自分がいた。
そう、決めちゃえばやるしかないんだよなぁと。
本当は「遊々自適」と続く。シリーズ哲学講話本、第二弾は『手段からの解放』。楽しみに少しずつ読みつつ、今月はこの「遊々…」も書き上げようと思う。